マルチディシプリナリーなデザインの世界 「デザインの旅路:経験と成長の繰返し」
- kojisumoto
- 4月7日
- 読了時間: 9分

デザイン論について
それなりの歳となり、ようやくデザインに対して語れるようになれたと思います。
学生時代は芸術大学で美術を専攻し、在学中にバイト店長していた後、その百貨店に入っていた店舗のその生活雑貨メーカーBEEHOUSEに就職しました。直営店の店長からスタートして、当時の西武百貨店に13店舗の直営店を持っていたので直営店マネージャーと一緒にサンシャイン60の西武本部に行ったり、瀬田にあったスタジオに行ったり、全てが新鮮な学びの時間。週1で祐天寺にあった商品研究所に行き、ジョイントデザイナーという独特な仕組みの中で社長を囲んでエンドレスミーティングを行っていました。
毎週土日、大阪から東京へ車で移動、行ったら会社で雑魚寝生活。会社は外交官の家を使った大きな間取りでプライベートな展示会等もできるショールームも併設され、1階・2階にはそのまま寝ても有り余る大きなバスタブもあり事務所としてのデザイン環境は破天荒なくらい刺激的で素晴らしかったと思います。店長会議には全国の店長が集結してほぼ女性の園のような世界にいたことを思い出します。その会社では、段ボールやギフトプレゼントのブランド化に取り組みラッピングとしてギフト包装の世界をブランド「包む」でレガーロという直営店展開。先日閉店した新宿アルタにも有りました。
生活雑貨のラッピングブランド「包む」!
段ボールメーカーの第三事業部と合体して株式会社包むとして法人化!
そのラッピング会社に移籍し、パッケージやプロダクトをインハウスデザイナーとしてデザインしてきました。
そこでは、バレンタインやクリスマスのイベント商戦で活躍する箱や包装紙、シール、リボンなどのラッピングに関する商品開発やデザイン等数々のトレンドを生み出して来ました。
当初はゾナルト、カミカと競合2社もあり、その業界では競合2社を含めて3大巨塔として話題になっていました。
当時は、専門性に絞った特定の顧客層をターゲットにしていたのでかなりとんがっていたと思います。完全受注型の展示会を年2回のシーズンに向けて六本木AXIS、原宿等プライベートな場所を設けては「包む劇場」と銘打って、全国の百貨店、小売店を対象に開き、年間の大半の数字とデザインに追いかけられる毎日を過ごしていた当時を回想します。ギフトショーで、ブースの入り口で招待状が無いと入れないという前代未聞の事もやったり!全国的にラッピング講習会を開催したり!ラッピング協会とは別に独自でライセンス発行したり、コーナーの強みを活かした企画を組み立てていたので、得意先様の百貨店の担当者やオーナーさんを集めて、西日本を任された時には「包む塾」と称して、地域のお客様へニュースや新しい包装技術を教えながら全国を巡回したりもしました。(その頃から、遠方へキャラバンしながら旅する生活に馴染んでいたのかもしれません)
お店から消費者層にアピールする術を教える仕事として小売店〜百貨店に至るまで様々な形態に対応する企画を組み立て、その後、原宿に自分のデザイン会社を立ち上げました。
会社を立ち上げての最初の仕事は、電報のデザインと箱のキャラクター商品「ハコイヌ」のプロデュース。
電報は大きな会社の請負で1本決まれば1億の年商になる大事な仕事です。締め切り近くになると、自宅前にバイク便が数台並ぶ忙しさ!箱キャラ「ハコイヌ」はその忙しさを埋める癒される創作時間でした。表参道のギャラリーに飛び込んで展示会を開き、キディランド、東急ハンズ、渋谷パルコなど今のカプセルトイの様に、ガチャガチャのカプセルの中に手作りのクラフトGOODSを入れて1個500円で販売したりしていました。(当時はカプセルトイのコーナーはない時代です)
ここまでで20年以上の歳月が流れ、学生時代から最初の会社でのデザイン歴を合わせると43年となります。
その間に住む場所も、転勤で、事務所開設、企画室移動があり、大阪→名古屋→東京→横浜、totalして長いのか短いのか、自分でも判断が難しいですが、様々なジャンルに携わってきました。
特に、慣れ親しんだ土や紙に関連するプロジェクトが多く、それらを通じて多くのことを学びました。
化粧段ボールから和紙、特殊紙、板紙、土の種類〜成形、型、釉薬、焼成に至るまで、幅広い素材について深く勉強する機会を得ました。
これらの経験を基に、陶器の産地や包装に関わる素材、さらにはブランド展開、店舗やコーナー、FC展開などを通じて、百貨店で学んだことが、後の照明、工芸、家具デザインに繋がって行きました。
この頃に中小機構に声をかけてもらい「JAPAN BRAND」でフランスでエキシビションに参加する工芸やメーカーのデザイン等 選考時に専門家として参画していた時期でした。経済産業省と契約を結び、虎ノ門にある森ビルにも幾度となく読んでもらいたくさんの方と名刺交換しました。
そういった工芸産地を巡る中で、地元の食材や米、お茶、醤油、酒などに出会い、食にも目覚めて商品開発やプロデュースや市場調査に出す方法を身につけたと実感しています。
実際にそういった場で手を動かすことで初めて理解できることも多く、自分のキャリアの中で出会った数多くの企業や人々に支えられてきました。日々、突発的な話が舞い込むので、わからないことも多く仲間や周囲に尋ね、学びを得る機会があり、振り返れば全て実践で同時経験して覚えたことばかりです。
特に海外市場を狙った展開の際、最初の一歩は手探りで始まりました。数回の経験を重ねる中で、雑貨メーカーで培ったノウハウが大いに役立ちました。これまでの経験が活かされていたことを実感しています。
「他では無理だったので」と駆け込み寺のように依頼されることもあるため、受けられる仕事は何でも引き受けました。その結果、デザインのプロデュースは1から10まで関与することがほとんどとなりました。あとは、実行する側の覚悟によって成果が決まります。
こうした仕事が中心だったため、時折「あなたは何を主体にやっていますか?」と尋ねられることがあります。そのときの状況によって、デザイナー、プランナー、プロデューサー、さらにはフランスで組紐デザイナー(職人)と紹介されることもありました。新聞や雑誌に取り上げられたり、テレビやラジオに呼ばれることもありましたが、会社勤めの営業時代には考えてもみなかった仕事の連続。多くの依頼を受けたことで、今では胸を張って「デザイナーです」と一言で表現できます。
私の中では、デザイナーは多様な業務をこなすことが求められると職業と定義しています。特にヨーロッパに出てから、その考えが一層強くなりました。おそらく、日本で私を一言で紹介できる人は皆無だと思います。

日本では、デザインが各ジャンルに特化した専門家に分化しています。
プロダクトデザイン、インダストリアルデザイン、グラフィックデザインなど、それぞれの専門家が存在します。
しかし、ヨーロッパでは異なり、例えばフランスで打ち合わせを行う際、「デザイナー」と名乗るだけで、プロダクトデザインやインダストリアルデザイン、グラフィックデザイン、スペースデザインなど、さまざまな分野でのマルチな期待が寄せられます。ほとんどの場合、一人のデザイナーが決定を下すことになりますが、その代わりに必要なリソースや専門家とのつながりを支援してくれることが多いです。このように、いつの間にかチームとして動くことができ、進行のスピードも格段に速くなります。
The World of Multidisciplinary Design
このようなマルチディシプリナリーなアプローチがあるため、海外のデザイナーは異なる視点や技術を融合させ、より創造的で革新的な解決策を提供することが求められ、常に鍛えられていくのだと思います。これが良い結果を生む要因となっているのかもしれません。期待されるがゆえに、必死に努力しなければならなくなり、必要な知識を事前に学ぶことが自然と求められる環境に置かれているのだと思います。

フランスのデザイナーたちと連携することで、フランスのデザイン教育が学生に対して広範なトレーニングを提供していることを知ることができました。彼らは幅広いスキルを身につけ、柔軟な思考を養っています。そのため、アートとデザインの境界が曖昧になり、デコレイティブなデザインをインテリアに取り入れることが可能になるのだと考えています。
日本に帰国してプロジェクト会議に参加すると、専門ジャンルのデザイナーが集まるため、会議が長引き、ほとんど何も決まらないことが多くあります。専門家が増えることで、それぞれの範囲内での議論が行われ、結論が出るまでに時間がかかります。そのため、大勢のプロジェクト会議は、あまり肌が合わないなと感じることがありました。
これは、どの世界でも共通して言えると思います。
紅茶やスパイス、カレーに関する学びを海外で見聞きし実践してきた私が言えることは、何事も「オンリーワン」のポジションを作ることが重要であるということです。そして、思い立ったらすぐに動く行動力。それをセルフプロデュースすることが最も大切だと感じています。
二度と同じ経験をすることはできませんし、まだ知らない世界がたくさんあります。目移りすることもありますが、最終的には自分が選び、信じた道を進むしかないということを理解しています。その過程で、全てがつながっていくのです。
新しいアイデアやプロジェクトが生まれるのも、こうした積み重ねがあってこそのことだと思います。振り返れば、実に経験がものを言う世界であったと感じています。
私のキャリアは、多様な経験を通じて成長し続けてきたものです。これからも、新しい挑戦をし続け、自分のデザイン感を磨いていきたいと考えています。
これまでの経験を通じて、デザイナーとしての役割は単なるデザインにとどまらず、文化や市場、そして人々とのつながりを深めることにあると感じています。これからも、様々なフィールドでの実施を続け、自己成長を図っていきたいと思います。
今回、片麻痺側になった事も、別の経験として可能性を見出す実践のフィールドとして受け止めています。あがき用もない現実!です。
ならないと絶対に分からないことの連続。最期にやってきた試練と思うしかないですね。
色々と挑戦してきて良かったです。
2025年、新しい年を迎えて今を力に変えてデザインし続けないと勿体無いことだと思っています。62から63に歳が移り変わり、小僧でなくなった今言える事は!「経験・体験で成し得ることは、大いなる財産」
これまでの道のりを振り返った時に二度と経験する事のない世界がありました!
「悔いの無い人生」こうやって考える事になるとは思わなかったですが、やらずに終わるよりはやって積み重ねた事を活かした方が数倍楽しいと思います。まだまだ、選択と決断の連続と思いますが、迷ったらまず飛び込んでみてください。きっと将来でプラスになり得ます。




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